中医学が日本に導入されたのは、今から40年ほど前と記憶しています。
私たちの記憶では、当初「中国漢方」、そして中国漢方を
「中医学」に変更したと覚えています。
表示変更の過程では多くの方の努力があり、
その中で名倉先生(北京中医大学日本校元オーナー理事長)と
イスクラ産業株式会社に大きな貢献があると思います。
中国で中医学という名称を使うようになったのは、意外にも
それほど古くはなく70~80年前から頻繁に使用されるようになりました。
中医学は、4000年間の漢方の知恵を纏め、初めて中医学基礎理論から
系統的に勉強する教育システムが構築されましたが、
過去の教育は徒弟制度が色濃く、黄帝内経、傷寒論、金匱要略
生薬400味、方薬歌訣などから勉強していました。
以前の学習方法は、徒弟制度が中心で師匠となる先生の元について教えて頂くので
厳しい環境での勉強であったことは間違いありません。
その為、漢方の医師として認められるにはかなり時間が要したそうです。
しかし、1950年代の半ばに大学教育に中医学が導入され、
初めて、中医学基礎理論、中医診断学、中薬学、方剤学、
中医内科学、中医外科学、中医婦科学、中医小児科学などの科目が
設けられ、学習の場が提供されたことで、
中医学の理論を体系的にまとめ学習できるようにりました。
そこから、中医学の人材が育成され、「中医学」の発展につながりました。